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ガイア連邦共和国年表(抜粋)

以前『メルクリウスの青い砂 設定資料集』に添付していた年表と、『メルクリウスの青い砂』の初回特典本の『暇日読本』に掲載した年表を元に、転記+誤り修正+αした年表です。説明文は主に『暇日読本』から引っ張ってきているので途中が抜けていますが、そのうち追加するかも。

各作品の年代は斜体青文字で記してあります。

西暦2092年
第四次世界大戦勃発
月地下資源の掘削権を巡り、大国同士が衝突。アメリカ合衆国、日本、韓国、中国、オーストラリアを中心とする環太平洋地域同盟と、ロシアを含むヨーロッパ連合に世界を二分した大戦となる。後にインドが環太平洋地域同盟として参戦。
2107年
第四次世界大戦終戦
終わりの見えない消耗戦に突入したため、勝敗の決着の付かないまま大戦が終結。どの参戦国の戦争責任も追及しないという異例の戦後処理が行われる。その後、国連にて世界共同体構想実現に向けての気運が高まり、国連世界共同体検討委員会が設置される。
2109年
ガイア連邦共和国準備政府発足
国連世界共同体検討委員会での調査と協議を経て、地球統一国家「ガイア連邦共和国」建国に向けての準備政府が発足。各国の国連大使が準備政府の要職を兼務。日本や中国といった経済大国の後押しによって通貨統合が約束され、また世界公用語として英語が正式に採用される(ただし強制ではなく、各地域では各言語が残る。公式発表や公文書に使われるという意味での公用語である)。
国連総会でガイア連邦共和国統一条約を決議
国連総会の場でガイア連邦共和国統一条約が決議され、国連加盟国(この時点で非加盟国は存在しない)による調印が約束される。
2115年
ガイア連邦共和国発足、首都をオーストラリア東海岸に置き、同地をガイアポリスと改称
国連加盟国の調印によって統一条約が正式に発効し、ガイア連邦共和国が発足。南極に情報通信等の基地を建設することが準備政府で決定されていたため、地理的な条件等から首都はオーストラリア東岸に定められた。ガイアポリスには政府の各種施設が置かれ、また近郊に連邦軍(正式名称:ガイア連邦共和国軍)の基地が設営された。

※初期の連邦軍は、アメリカ合衆国や中国などの軍事大国によって戦力を提供された混成軍であった。またガイア連邦共和国政府は世界各国の首脳によって構成され、その後速やかに立法・行政・司法の各機関についての人選等が議論されることとなった。
2116年
西暦廃止を決議、ガイア歴法制定
ガイア連邦共和国の誕生を記念して、世界的に新たな暦法が採用されることが発表された。2116年12月31日をもって西暦は破棄された。
ガイア歴1年
ガイア歴開始(旧西暦2117年)
6年
世界難民基金設立
第四次世界大戦では多くの土地が荒れ地と化し、大量の難民が発生した。戦後、先進諸国による補償が行われていたが、ガイア連邦の準備から成立までの期間はそれが手薄になっていた。そこで、ガイア連邦の政治機構が安定すると、まず難民問題への対処が求められたのである。この年、ガイア連邦政府は世界難民基金の設立を決定し、連邦予算の一割を充てて難民問題の解決を図った。数年後、世界難民基金は政府から独立して公益法人となり、独自の運営機構を獲得し、難民の救済に当たることになる。
13年
共和国憲法と連邦自治法を改正、自治区の統治形態を任意に選択可能となる
各自地区政府の政治体制は、従来は大統領制に統一されていた。しかし、地元の企業や民衆からは、統治形態は各地の現状に合わせるべきであるとの声が頻出していた。この声に応える形で、連邦政府は共和国憲法及び連邦自治法を改正。この改正により、各自地区政府は、自治区の憲法に当たる自治区憲章を定めることと自治区議会の決議を条件に、統治形態を任意に選択できるようになった。
74年
第一次ユーラシア内戦勃発
99年
世界難民基金がアフリカ大陸北西部に準自治区を得る
132年
マルシア解放同盟がインドを武力制圧し、インド自治区を宣言
武力組織マルシア解放同盟がユーラシア自治区警察部隊インド支部を殲滅し、インドを勢力下に収めた。同年、インド自治区を宣言するが、連邦自治省はこれを認めず、連邦軍が現地に派遣された。連邦軍はユーラシア自治区の他の紛争地帯へも派遣され、この後数年をかけて内戦はようやく収束へと転じる。これをきっかけにマンモス自治区であるユーラシア自治区の分割統治問題が持ち上がり、ユーラシア自治区議会で議論され続けることになる。
140年
インド自治区にL6型水素爆弾投下、インド地区への300年間立ち入り禁止が決定
最後まで抵抗を続けていたマルシア解放同盟のインド自治区に対し、連邦政府はL6型水素爆弾の投下を決定。投下された翌々日、マルシア解放同盟は無条件降伏した。L6型水爆は効果地域限定型の爆弾であるため、放射能汚染はインド地区のみとされた。同地区への立ち入りは300年間禁止され、定期的に連邦政府の調査団によって残存放射線量の測定が行われることとなった。これをきっかけに、民間で核兵器廃絶の機運が高まる。
第一次ユーラシア内戦終結
マルシア解放同盟の降伏と逮捕された同盟幹部の裁判が終了したことをもって内戦終結が宣言された。なお、同盟幹部は全員処刑された。
142年
核兵器封印のための連邦法が成立
155年
最後の核兵器の太陽系外投棄が完了
178年
ユーラシア分割統治法成立
179年
エウロ自治区がユーラシア自治区より分離・成立
ユーラシア分割統治法に基づき、ユーラシア自治区はゆるやかに複数の自治区に分割されることが決定。その第一号としてエウロ自治区が分離・成立した。
182年
通信衛星ミネルヴァ打ち上げ成功
193年
通信衛星ディアナ打ち上げ成功
202年
南極情報通信センター開局、QUEEN SYSTEM稼働開始
次世代情報通信ネットワーク構築計画(通称:Ω計画)のための通信衛星「ミネルヴァ」「ディアナ」が相次いで打ち上げられた。その後、Ω計画は正式にΩーNETと命名され、南極にその要となる情報通信センターが開局した。情報通信センターには2基の通信衛星(正式稼働の際に5基に増設)と通信を行うためのパラボラアンテナと、ΩーNET上の全トラフィックを管理するための「QUEEN SYSTEM」と呼ばれる四つ子システムが置かれた。

※南極情報通信センターはガイアポリスからの遠隔管理を前提として設計された無人施設である。
203年
各大陸にPRINCESS型ホストを設置、Ω−NETの基礎実験開始
206年
通信衛星ヴィーナス打ち上げ成功
Ω−NET用の最後の制式通信衛星「ヴィーナス」が、大西洋赤道上空の静止軌道上に打ち上げられた。この年から各地に設置された「PRINCESS」型ホストコンピュータに政府公式サービスコンテンツの移行が開始された。また、各コンテンツプロバイダに向けてΩ−NETの仕様が公開され、第4世代インターネットからのコンテンツ移行を促すための連邦法、通称「ヴィーナス法」が制定、施行された。
209年
通信補助衛星ヴィクトリア、ヴィクトリア- II 打ち上げ成功
衛星食によって一時的な通信不能地域が出ることを避けるために、2基の通信補助衛星「ヴィクトリア」と「ヴィクトリア-II」が赤道上空の集会軌道上に打ち上げられた。
211年
Ω−NET一般開放
基礎実験の結果が良好であること、政府公式サービスコンテンツの移行完了並びに商用コンテンツの移行が9割まで進んだことを受けて、Ω−NETが一般利用者に向けて解放された。翌年には全ての商用コンテンツの移行が完了し、さらにその翌年には、Ω−NET初の草の根ホストとなる「ACE_OF_SPADE」が構築された。そのさらに数年後、ルータ設定がQUEEN SYSTEMによって書き換えられ、第4世代インターネットが完全に停止された。
237年
第二次ユーラシア内戦勃発
ユーラシア分割統治法に基づく分割協議は境界線設定等で意見の食い違いがあったことから難航していたが、この年、ついにそれが武力衝突へと発展し、第二次ユーラシア内戦が勃発した。
238年
エウロ各地で住民による暴動が多発
エウロ自治区政府や在エウロ企業の第二次ユーラシア内戦関連の対応に民衆の不満が爆発し、各地で暴動が多発した。各地で独立に発生していた暴動は、やがてエウロ全体を巻き込む内乱へと拡大していった。
239年
暴動により北アメリカ自治区政府が崩壊
240年
連邦政府がユーラシアおよび北アメリカへ治安維持軍を派遣
北アメリカ大陸の暴動鎮圧、タウラビア自治区が成立
243年
暴動によりエウロ自治区政府が崩壊、連邦政府が治安維持軍を派遣
内乱の鎮圧に失敗したエウロ政府は崩壊し、連邦政府はヴィンセント・アヴァロン中将を司令官とする治安維持軍を派遣した。
第二次ユーラシア内戦終結
245年
エウロにて暴動鎮圧、新政府樹立
エウロの内乱を鎮圧したアヴァロン中将はそのまま同地区の実権を掌握し、新政府の樹立を宣言した。連邦法に反する行為であったが、ユーラシア内戦、エウロ内乱、タウラビア暴動と、軍事的対応が続いて疲弊していた連邦政府は、アヴァロン中将の影響力なども考慮して、やむを得ずこれを承認した。
246年
ユーラシア自治区がシノニア、トッカル、ベリスの各自治区へ分離
251年
エウロが帝政に移行(アヴァロン朝)
終身独裁官として政務を執っていたアヴァロン中将は自らの地位を皇帝と改め、その職を事実上の世襲とした。
273年
南極航空管制センター完成、運用開始
287年
エウロにて封建体制が確立
292年
世界難民基金がグラデーションズ教会へ改称
カトリックの教義を活用して準自治区を運営していた世界難民基金は、より宗教色の濃いものへと統治機構を再編し、グラデーションズ教会と改称した。
300年
南アメリカで歴史的規模の大地震が発生、大陸南部の永久放棄が決定
303年
南アメリカ自治区がコルン自治区へ改称
304年
コルン自治区より難民が大量流出
314年
グラデーションズ教会領がアフリカ大陸の北半分まで拡張
322年
アフリカ自治区がケープ自治区へ改称
348年
スリークォーター疑惑、連邦議会が評議会制への移行を決議
351年
各自治区の代表によって構成される連邦評議会が発足
369年
ケープ自治区が独自の軍隊で南極大陸へ侵攻
370年
第五次世界大戦勃発
ケープ自治区が独自の軍事力をもって南極大陸へ侵攻し、これに端を発して第五次世界大戦が勃発した。
372年
コルンがケープへの協力を表明
377年
コルン自治区政府でクーデター、反ケープ派によって連邦政府寄りの新政府樹立
380年
第五次世界大戦終結、ケープが連邦管理区となり、各自治区の共同統治下に置かれる
コルンの離反により敗色濃厚となったケープは降伏し、第五次世界大戦が終結した。
383年
コルンで大規模な火山活動が始まり、各地で甚大な被害が出る
385年
コルンの火山活動に連動したと見られる火山活動がタウラビアで始まり、各地で甚大な被害が出る
386年
連邦評議会、コルンとタウラビアの閉鎖を決議
409年
ベリス、トッカル、エウロ各自治区政府が、自治区内の連邦軍地方駐屯部隊を接収
413年
シノニア自治区政府が自治区内の連邦軍地方駐屯部隊を接収
422年
連邦評議会、連邦軍の解散を決議
各自治区が連邦軍地方駐屯部隊を接収したことに対し連邦政府の行政機関は影響力の低下に懸念を持っていたが、各自治区の代表から成る連邦評議会は連邦軍の解散を決定した。これにより連邦政府は独自の紛争抑止力を失うことになったが、評議会では各自治区が連携して紛争解決に当たれば問題にならないことであるとされた。
424年
連邦軍解散、世界平和博覧会開催
431年
連邦評議会の永久解散を決議(旧評議会は以後再招集されず)
440年
インド地区への立入禁止が解除
442年
ベリス自治区東部のガネイシアが商業特別区に認可される
444年
ΩーNETの利用形態としてSiNEが急速に普及
ヒューマンリンクコンピュータの発展と普及により、Ω−NETの新しい利用形態として、仮想空間を通じたコミュニケーションや各種サービスの提供が可能なSiNEプロトコルが急速に普及した。
448年
ガイアポリスへの難民流入と、ガイアポリスのスラム化が始まる
コルン難民やタウラビア難民の子孫がグラデーションズ教会領を経由してガイアポリスへ流入。職を求めてのことだったが、仕事を得られる人は少なく、浮浪者となる者が多かった。直轄区政府はローズクォーツストリートのさらに南側にある番外地へ居住施設を用意し、食糧を配給するなどして対応したものの、ガイアポリスの治安は次第に悪化していった。
464年
インドネシアの一部を含むミクロネシア諸島地域がゆるやかな連合を形成(ムースウエスト文化圏)
470年
ネオポリス遷都
連邦政府は、ファーストキャピタルリバーを挟んでガイアポリスの対岸に形成された都市部を再開発した後、首都機能を移転することを決定した。この街は「ネオ・ガイアポリス」と名付けられたが、一般には略称である「ネオポリス」が浸透しており、公式文書などでもネオポリスと称されることの方が多い。
486年
海抜上昇によりエウロ沿岸部が水没
487年
海抜上昇によりシノニア東部の一部地域が水没
490年
ベリスとエウロのケープ領有権争いに端を発した第六次世界大戦が勃発
ケープの権益争いが武力衝突に発展し、ベリス・シノニア連合とエウロ・トッカル連合による第六次世界大戦が勃発した。
493年
ムースウエスト準自治区成立
499年
第六次世界大戦終結
ケープ地区を連邦の準直轄区とし、同地の無償復興支援義務がエウロとトッカルに課されることとなった。
連邦政府、ガイア連邦共和国軍を再編成
第六次世界大戦の早期解決に失敗した連邦政府は独自の紛争抑止力の必要性を痛感し、422年の解散以来約70年ぶりに連邦共和国軍を再編成した。この二つの組織の正式名称は共に「ガイア連邦共和国軍」だが、区別のために以前のものを「連邦軍」、再編成後のものを「共和国軍」と通称するようになった。
500年
連邦統治に関する自治区政府サミット開催、政策判断コンピュータの設置を決議
自治区政府サミットにおいて、第六次世界大戦の戦後処理に不公平があるとして、公平な統治に関する動議がトッカル代表より提出された。サミットは、充分に発達したコンピュータと正確かつ大規模なデータ群があれば、公平な判断を行う統治コンピュータシステムの構築が可能であるとするシノニアの提案を支持する決議を採択。政策判断コンピュータの設置が決定され、国立先端技術研究所が主導するジュピター・プロジェクトが開始された。
504年
政策判断コンピュータJUPITERをネオポリスに設置、JUPITER-SYSTEM稼働開始
ジュピター・プロジェクトの成果である巨大コンピュータ「JUPITER」が連邦首都ネオポリスに設置され、稼働が開始された。同時に連邦政府は政策実行機関を除いて解散。
505年
最初の「神託」によりケープが暫定連邦直轄区になる
自治区同士の利害対立やエウロの財政難の影響で復興が遅々として進まないケープの状況に対応するため、JUPITERは同地区の復興支援義務を自らに委譲し、エウロ・トッカル両自治区の同義務を解除することを決定した。

※この最初の「神託」は、記念として国立科学博物院に収蔵されることが決定した。
557年
「ユピテルの意志」発令
558年
自治区政府首脳による緊急サミット開催、JUPITERの停止を決議
559年
緊急サミットのメンバーを中心に、連邦評議会を再招集(新評議会)
JUPITER-SYSTEMに替わる連邦統治機構として、連邦評議会を再招集し、各自地区政府首脳が評議員に就任した。
562年
「ユピテルの意志」関連資料の各自治区政府による共同保管開始
571年
ベリス沖地震発生、南東核融合発電所全壊、核分裂発電所一部倒壊
震災により、ベリス南東沖で稼働していた核融合発電所が倒壊。この発電所は世界の消費電力の約6割を発電していたため、世界的な電力危機が発生した。これを受け連邦評議会は、老朽化のため出力が抑えられていたシノニアの一号核融合発電所の電力増産を急遽決定。地震発生の一週間後には電力供給量が震災前のレベルに戻った。一方、常温核融合炉の建造技術が失われて久しかったため、ベリス南東沖核融合発電所が再建されることはなかった。
580年
ネオポリス沖に空中庭園が完成
「空中庭園」と通称される高級会員制遊戯施設がネオポリス沖に完成した。この建造は極秘裏に進められ、完成後も一般に知らされることはなかった。利用者は政治家や企業経営者など、高額な会費を支払うことができる富裕層に限られた。
616年
シノニア核融合発電所一号炉が緊急停止、世界的な電力不足により各地の公式ホストが停止
シノニアの一号核融合発電所の出力が著しく低下し、世界全体で電力供給量が約3割まで低下。この影響で各家庭や企業の電気機器はもとより、世界各地にあるΩ−NETのホストコンピュータの大多数が緊急停止した。同発電所の調査の結果、常態化していた出力オーバーによる送電施設の破損が明らかになり、これが出力低下の原因とされた。破損箇所の補修後、同発電所は出力を安全レベルまで引き下げて稼働が続けられることとなったが、電力供給量は以前の7割程度までしか戻らず、世界は恒常的な電力不足に悩まされることとなった。
621年
SiNE一般利用禁止措置(ΩーNET閉鎖法)発効
連邦評議会は、電力不足解消に向けた施策の一つとして、ひとつのサービスを提供するのに複数台のホストコンピュータを必要とするSiNEプロトコルの利用禁止を決定。これを盛り込んだΩ−NETの一般利用制限に関する連邦法(通称:Ω−NET閉鎖法)を制定、施行した。これにより政府機関が利用または提供する、いわゆる公式ホスト以外のSiNEサービスは稼働を停止し、民間で利用できるΩ−NETのサービスはメールと対話通信のみに限定されることとなった。また、これに伴い、南極情報通信センターのQUEEN SYSTEMは四つ子システムの半数(2台)のみで運用されることとなった。
紙の生産・消費量が急増
SiNEの一般利用禁止の影響で雑誌や新聞、書籍などの発行・創刊ラッシュが起き、紙の生産量と消費量が急増した。
623年
渡り鳥の門は遠く
628年
Some Years After.
ハロルド・ゼームスタインによって1-bit divingの手法が確立される
SiNEの一般利用が禁止されて以来、Ω−NETに存在する膨大なデータへのアクセス手段は皆無だったが、その状況に一石を投じる技術が確立された。
629年
天使の証
シュガードロップ・ブレイクアウト(前編)
ビットシフト ~マクスウェルアベニューの魔術師~
大水害でムースウエストが壊滅
632年
ガネイシア南東の島に核分裂発電所の建設が急ピッチで進められる
シノニアにある核融合発電所のさらなる老朽化と電力不足への対応が問題となり、新たな発電施設の建設が課題となっていたが、常温核融合炉の新設は不可能であったため、旧式ではあるが技術的に可能な核分裂発電所をガネイシア南東の島に建設することが決定され、工事が急ピッチで進められた。
633年
シュガードロップ・ブレイクアウト(後編)
634年
リ・エンゲイジ
635年
ガネイシア南東発電所が稼働開始、電力供給量がかつての8割程度まで回復
637年
評議会、ΩーNET再開放を議論するが、電力不安が払拭できず断念
連邦評議会は、電力増産を受けてSiNE一般利用制限の解除(Ω−NET再開放)について検討したが、かつての電力供給量に達していないことや、核分裂発電所の増設が困難であるとの考えから、見送られることとなった。
638年
国立先端技術研究所暴動事件
一部ハッカーの間でΩ−NETへの1-bit divingが流行
640年
メルクリウスの青い砂